Thursday, January 15, 2015

自分にも起こりうること

母は63歳で亡くなった。
私がその年になるまで後21年。
息子が成人してたった一年後。
飛び級でもしない限り、まだ大学生。
でも私だってその位の若さで死ぬ可能性もある。
もっと早くに死ぬ可能性も当然ある。
もちろん、もっともっと長生きする可能性だってあるけれど。
母を亡くして以来、ガンを扱ったTV番組が苦手になった。
母が亡くなった直後は見ることもできなかった。
少し前にあったドラマ、パパとママが生きる理由というタイトルだった気がするのだけど、
パパが肺がん、ママが乳がん、という設定だった。
その中で、ママが子供達の将来のお誕生日カードを用意する場面があって、
私も1通くらい書いておいた方がいいかな、とかふと思った。
書くとしたら、何歳の息子に宛てたらいいかな?
16歳?
20歳?
21歳?
それとももう少し後の30歳くらい?
私が母を亡くした39歳?
色々考えてたら泣けた。
一人部屋の片隅で。
膝を抱えて。
顔を上げたら母の遺影が微笑んでた。

Monday, January 5, 2015

まーたまた長らく放置プレイ...

どうも、こんばんは。
多分もう誰も見てないと思われ...

入院日記も3日坊主はかろうじて免れたものの、4日坊主(汗)
しかもそのまま放置って...

その後入院生活は出産まで続きました。
と言っても出産は予定日より7週間ほど早い、6月17日でした。
その日は旦那がボストンで仕事だったので、
前日病室に泊まってってくれてて、
行ってらっしゃ〜いって送り出したのが7時半前後だったと思う。
その後、8時頃に急にヨガパンツがびっしょりになり、
え?まさかこの年でお漏らし!?と焦ってトイレに駆け込む。
座った瞬間にどばっと水が出て来て、
あ、もしや、これは... 破水というやつ!?
慌ててナースコールをする。
すぐに来てくれたナースに、なんでトイレにおるん?
早くベッドに戻って横になりなさい、と怒られる。
前置血管を抱えていたので、出血する前に子供を取り出さないとダメらしく、
そこからがもう早いのなんのって...

旦那に電話するように言われて、え?今?って、
私は割とまだ呑気に構えてたけど、
意外にナースたちはシリアスな感じで、
次から次にナースが入って来て、
ドクターも入れ替わり立ち代わり...
すぐ手術室に送り込まれる。

下半身の麻酔を打たれ、悪寒がしたり、ぶるぶるしたりする。
次々に色んな先生が挨拶に来る。
緊張してぶるぶるしてるんかと思ったら、
麻酔の副作用らしい。
いつもの先生の顔を見たらちょっとほっとした。
旦那さんはすぐ来れそうって?って聞かれて、
うーん、聞いてないからわからないけど、
ボストン市内にいるからそんなにはかからないと思う、って答えたら、
残念だけど多分間に合わないね、という。
それからほどなくして、始めます、と声をかけれらた。
あっという間に子供が取り出された。
みゃーみゃーと子猫みたいな声が聞こえた。
看護婦さんが子供を高く持ち上げてくれたけど、
私のいるところからは殆ど見えず、
性別わかったー?と聞かれたから、見えないからわからなかった、
と答えたら、もう一回見せてくれたけど、やっぱりよくわからず、
聞いたら男の子だという答えだった。
旦那さんがロビーについたそうよ、と聞かされる。
今考えてみたら、妊娠末期には男の子な気がしてたは当たってたんだなぁと。
名前は決めてる?
って聞かれたけど、
一つだけ候補だった男の子の名前、なんか一瞬顔を見た感じだと違う気がした...
そしたら、旦那が来た。
どっちだった?聞かれて、ナースに聞いてないの?って聞くと、
聞いてないっていうから、見て来たら、って言ったけど、いい、って。
だから男の子って答えた。
顔をみたら、なんかほっとした。

後の処置が済んで、しばらくして、病室の準備ができるまでの間
待機しておくみたいなところに連れて行かれた。
ストレッチャーから自分のベッドには自力で移動しないといけないからね、
と言われる。
そう言えば朝から何も食べてないことに気づいて、喉が乾いて、お腹がすいてきた。
クラッカーとジンジャーエールをもらった。
IVFの時みたいやね〜って話した。

長い一日だったので、この続きはまた後日。
(でも忘れないうちに書いておきたいと思うので、近い内に書きます。)