Saturday, March 28, 2015

母乳が売れるのは知らなかった

冷凍母乳が売れる!期待と不安の製品開発】という記事を読んで、自分の経験を記録しておきたいと思ったので、書いておきます。

(注釈)
私は母乳を寄付しただけど、売った訳ではないので、売れるのか、とか、どうやって売るのか、等の情報はわかりかねます。後もう一つ、多分、母乳の寄付は場所によって違うと思うので、私の書いている内容はボストン近郊での事情なので、他の街ではまたプロセス等違う可能性もあるので、それぞれでご確認下さい。

では、本題に入ります。

知ってる人は知ってると思うけど、うちの息子は一ヶ月半ほど早く生まれて来て、しばらくNICUに入っていました。その時に、もっと早く生まれた子の場合、寄付された母乳を使うこともある、という話を聞きました。母乳をあげることがこんなに大変だとは... 正直想像もしていませんでした。が、これはまた別の機会に書こうと思います。

まあ苦労しつつも、なんとか母乳で育てることができています。

NICUにいた頃、最初は鼻にチューブを通して、そこから栄養を取っていました。私が搾乳する母乳プラス未熟児用にカロリーアップのミルクを追加していました。足りない時や、搾乳して届けるのが間に合わなかった場合はミルクを使っていました。退院してしばらくして、体重の増えもよかったので、もうカロリーアップも必要ないということで、それから離乳食を始めるまでは母乳だけで育ちました。4ヶ月頃に乳、大豆製品のアレルギーが疑われ、しばらく様子を見ていましたが、大豆製品はどうやら大丈夫そうで、乳製品はほぼ確実にアレルギーがあるようです。つまり、今まで搾乳してきたものは私が乳製品を食べていた時の物なので、もう使えない、ということになります。

母乳の寄付を考え始めたのはそれがきっかけでした。

でも実はそれ以外にもう一つ大きな問題があって、実はうちの息子、哺乳瓶を拒否するんです。NICUにいた頃と、その後も退院して1ヶ月くらいはまだ哺乳瓶で飲んでくれていたので、搾乳した母乳を一日一回は主人があげてくれてました。が、ある日突然、哺乳瓶で飲まなくなりました。吸わずに、自然に口に溜まったものにむせ返って吐いてしまうようになったのです。いくら哺乳瓶を与えても結果は同じでした。1週間位それが続いて、一旦休憩することに... それからも時々思い出したように試してみましたが、結果は同じでした。

ということで、いくら搾乳しても飲んでくれないので、結局、搾乳したものは全部寄付することに。(今でも搾乳は1日1回だけしています。)

この母乳で誰かの赤ちゃんが元気に育つのかもしれない、と思うと、無駄にしてしまうよりも是非是非使って下さい、って思う。母親に取って搾乳して母乳って英語だとliquid gold(金の液体)ってよく例えられるんだけど、ゴールドみたいに価値がある液体、という意味です。一生懸命搾乳した母乳を捨てるには忍びない。だから、どこかの誰かが飲んでくれるなら、って私は思います。

私が寄付したのはMothers' Milk Bank Northeast です。こちらに電話をして、寄付したい、と申し出ると、まず最低150オンス(4436ml)寄付出来るか、と聞かれます。これは今の子から出る母乳のトータルで、ということなので、その日一日に150オンス寄付、ではありません。保存方法や期間についても聞かれます。後は健康状態や、薬などを飲んだか、など。その後、血液検査を提出して、問題がなければ、寄付が許可されます。送るための箱などはミルクバンクが用意してくれるので、送料も向こうが負担してくれます。指示通りに詰めて送るだけです。

もし何らかの理由で母乳が余っている、使えなくなった、等で、寄付をお考えの方、是非一度相談してみて下さい。

他の州にお住まいでもローカルのミルクバンクがあるかもしれないので、グーグルで検索してみて下さい。

Thursday, January 15, 2015

自分にも起こりうること

母は63歳で亡くなった。
私がその年になるまで後21年。
息子が成人してたった一年後。
飛び級でもしない限り、まだ大学生。
でも私だってその位の若さで死ぬ可能性もある。
もっと早くに死ぬ可能性も当然ある。
もちろん、もっともっと長生きする可能性だってあるけれど。
母を亡くして以来、ガンを扱ったTV番組が苦手になった。
母が亡くなった直後は見ることもできなかった。
少し前にあったドラマ、パパとママが生きる理由というタイトルだった気がするのだけど、
パパが肺がん、ママが乳がん、という設定だった。
その中で、ママが子供達の将来のお誕生日カードを用意する場面があって、
私も1通くらい書いておいた方がいいかな、とかふと思った。
書くとしたら、何歳の息子に宛てたらいいかな?
16歳?
20歳?
21歳?
それとももう少し後の30歳くらい?
私が母を亡くした39歳?
色々考えてたら泣けた。
一人部屋の片隅で。
膝を抱えて。
顔を上げたら母の遺影が微笑んでた。

Monday, January 5, 2015

まーたまた長らく放置プレイ...

どうも、こんばんは。
多分もう誰も見てないと思われ...

入院日記も3日坊主はかろうじて免れたものの、4日坊主(汗)
しかもそのまま放置って...

その後入院生活は出産まで続きました。
と言っても出産は予定日より7週間ほど早い、6月17日でした。
その日は旦那がボストンで仕事だったので、
前日病室に泊まってってくれてて、
行ってらっしゃ〜いって送り出したのが7時半前後だったと思う。
その後、8時頃に急にヨガパンツがびっしょりになり、
え?まさかこの年でお漏らし!?と焦ってトイレに駆け込む。
座った瞬間にどばっと水が出て来て、
あ、もしや、これは... 破水というやつ!?
慌ててナースコールをする。
すぐに来てくれたナースに、なんでトイレにおるん?
早くベッドに戻って横になりなさい、と怒られる。
前置血管を抱えていたので、出血する前に子供を取り出さないとダメらしく、
そこからがもう早いのなんのって...

旦那に電話するように言われて、え?今?って、
私は割とまだ呑気に構えてたけど、
意外にナースたちはシリアスな感じで、
次から次にナースが入って来て、
ドクターも入れ替わり立ち代わり...
すぐ手術室に送り込まれる。

下半身の麻酔を打たれ、悪寒がしたり、ぶるぶるしたりする。
次々に色んな先生が挨拶に来る。
緊張してぶるぶるしてるんかと思ったら、
麻酔の副作用らしい。
いつもの先生の顔を見たらちょっとほっとした。
旦那さんはすぐ来れそうって?って聞かれて、
うーん、聞いてないからわからないけど、
ボストン市内にいるからそんなにはかからないと思う、って答えたら、
残念だけど多分間に合わないね、という。
それからほどなくして、始めます、と声をかけれらた。
あっという間に子供が取り出された。
みゃーみゃーと子猫みたいな声が聞こえた。
看護婦さんが子供を高く持ち上げてくれたけど、
私のいるところからは殆ど見えず、
性別わかったー?と聞かれたから、見えないからわからなかった、
と答えたら、もう一回見せてくれたけど、やっぱりよくわからず、
聞いたら男の子だという答えだった。
旦那さんがロビーについたそうよ、と聞かされる。
今考えてみたら、妊娠末期には男の子な気がしてたは当たってたんだなぁと。
名前は決めてる?
って聞かれたけど、
一つだけ候補だった男の子の名前、なんか一瞬顔を見た感じだと違う気がした...
そしたら、旦那が来た。
どっちだった?聞かれて、ナースに聞いてないの?って聞くと、
聞いてないっていうから、見て来たら、って言ったけど、いい、って。
だから男の子って答えた。
顔をみたら、なんかほっとした。

後の処置が済んで、しばらくして、病室の準備ができるまでの間
待機しておくみたいなところに連れて行かれた。
ストレッチャーから自分のベッドには自力で移動しないといけないからね、
と言われる。
そう言えば朝から何も食べてないことに気づいて、喉が乾いて、お腹がすいてきた。
クラッカーとジンジャーエールをもらった。
IVFの時みたいやね〜って話した。

長い一日だったので、この続きはまた後日。
(でも忘れないうちに書いておきたいと思うので、近い内に書きます。)